大正~昭和の薄荷農家では昼夜通して焚き続けていたそうですが、現在は朝火を入れ、夕方火を止めています。
写真1は蒸留小屋を裏から撮影したものです。小屋の中央に蒸留装置(蒸留窯)が置かれているのがわかります。その右のドアの奥はボイラー室で、ここで発生させた水蒸気は床下のパイプを通って蒸留窯の下部より窯内に噴出する仕組みになっています。
午前7時前後、前日に乾草を詰めた状態で火が入れられ、その後3時間程度の蒸留の後、昼前に火が止められ、蒸しかすを取り出して2回目の蒸留のために乾草が詰められていました。
この一連の作業段階を、私の方で並べ換えて、【薄荷草を窯に詰める作業】→【蒸留開始】→【後蒸留終了】→【蒸し滓を取り出す作業】という順にして、これから一連の工程をご覧いただきます。
5.おわりに
薄荷の蒸留日は、収穫した日、乾燥した日によって毎年異なるため、事前に把握できず、なかなか取材が難しいものであったが、担当科目がオンライン実施で出張日程にゆとりがあったことと、共同研究者間で情報交換ができたことで、初めて実現した。ひとつの装置を複数の団体で順に使用するため、それぞれの収穫量に応じて開始日、蒸留に要する日数が変化するのは当然である。今回の取材でも出発2日前に仁頃町の蒸留日程が変更になり、取材日程もそれに合わせて臨機応変に変更できれば良いが、出発数日前になって旅程を急遽変更することは、交通や宿泊、レンタカー使用日の変更やキャンセル、学内出張申請の変更、当日授業や会議があれば休講や欠席の手続きなどのため難しい。出張日程を変更せずそのまま北見へ出かけたが、蒸留日程が変更になったおかげで北見ハッカ研究所と仁頃香りの会の両方の作業を見学することができて幸運であった。この経験を通して、厳密な日時のスケジュールに沿って行動する日々に慣れている現代人が見失いがちな緩さを、報告者はこの取材旅行で久しぶりに味わった気がした。それはとても人間味ある体験であったと同時に、こういう緩い感覚は、これからの時代の新しい働き方として我が国の人々が目指す未来の姿にも通じるような気がした。
薄荷蒸溜の見学を自由にさせていただいた他、ハッカ記念館では車で10分程のところにある香りゃんせ公園でもはさ掛けが行われていると教えてくれたり、ピアソン会の事務局長と一緒に取材ができれたり、翌日KITAMNT HALLを丁寧に案内していただいた。とても親切に応じていただいた中に、私は職務とは別次元の純粋な人間味を感じた。大正~昭和期に北海道開拓の厳しさの中から確かな“世界一”を生み出した薄荷の香りが、時代が平成から令和に変わってもなお、人々の無意識に染み付いていると感じるからこそ、報告者は北見薄荷の過去・現在・未来とそれを取り巻く人々の姿にこだわりをもって伝え続ける覚悟でいる。
謝 辞
今回の訪問に際し、丁寧なご説明、情報等の御提供をいただきました、仁頃香りの会、北見ハッカホールディングス、北見市ハッカ記念館、NPOピアソン会、田園空間情報センターにっころの関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。
※本研究は、令和3年度日本教育公務員弘済会本部奨励金の助成によって行われました。
1)指田豊(2019):生薬としての薄荷、aromatopia、Vol.28(3)、34-37
2)北見薄荷愛好会(2017):毎日、ハッカ生活、大和出版
3)井上英夫(2002)、北見の薄荷入門、オホーツク文化協会
4)和泉光則(2016):北海道北見地方のハッカ(薄荷),化学と教育 2016,64巻(4),188-191
5)浅井かずみ(2019):国産ハッカ最前線―北見から―、aromatopia、Vol.28(3)、47