北見ハッカと心理ゲームのちょっぴりマニアックな世界・・・
 A unique combination of chemistry and psychology...

  ★薄荷蒸留の様子 in 北見市仁頃町

 
 

 ハッカ蒸留小屋の作業を動画で紹介!

★2021年10月の取材を、和泉と武智ののんびりトークを交えてムービークリップで紹介します!開拓時代から続くこの蒸留作業を、ぜひ味わってください。
 

みなさんこんにちは。
2021年10月の取材を、和泉と武智ののんびりトークを交えてムービークリップで紹介します!開拓時代から続くこの蒸留作業を、ぜひ味わってください。
(写真:北見市の香りゃんせ公園)
  大正時代から薄荷農家で行われていた精油の分離方法は、乾燥させた草に水蒸気を吹き込んでオイルを蒸発させる“水蒸気蒸留法”です。複数農家単位で共同所有する蒸留小屋内で、昼夜通して一気に蒸留を行っていたといいます。そしてここで得た薄荷の精油を“取卸油”と呼んでいます。農家による作業はここまでで、取卸油は瓶や缶に詰めて出荷されました。取卸油は買い付け人によって買われた後、国内外の工場にて結晶の分離や精製作業が行われていました。昭和に入って北見ハッカ工場が建設されてから、殆どの取卸油はハッカ工場が請け負い、【HOKUREN】ブランドとして国内外へ出荷され、高品質のホクレン薄荷は世界中で高い評価を得ていました。
 21世紀の現在、当時の面影を残した薄荷蒸留の姿は、北見市仁頃町の仁頃はっか公園にある田園空間情報センター“にっころ”の裏にある蒸留小屋で、毎年秋に見ることができます。ここには“田中式”と呼ばれる蒸留装置が一台置かれ、市内で共同利用されています。
 私たちが赴いた2021年10月7日には北見ハッカ研究所にて栽培された薄荷の蒸留作業が行われていて、またその2日後には仁頃香りの会による蒸留が始まっていました。

・・・・・・前置きがかなり長くなりましたが、本ページではこの2日間の蒸留作業取材の成果をもとに、薄荷草から取卸油を得る蒸留プロセスを、取材動画と和泉&武智のおしゃべりで紹介します。
 
 
☆薄荷蒸留の工程☆ 
 『にっころ』の奥にある蒸留小屋で行われた蒸留の詳細を、過程ごとにご覧ください。

 大正~昭和の薄荷農家では昼夜通して焚き続けていたそうですが、現在は朝火を入れ、夕方火を止めています。

写真1は蒸留小屋を裏から撮影したものです。小屋の中央に蒸留装置(蒸留窯)が置かれているのがわかります。その右のドアの奥はボイラー室で、ここで発生させた水蒸気は床下のパイプを通って蒸留窯の下部より窯内に噴出する仕組みになっています。

 午前7時前後、前日に乾草を詰めた状態で火が入れられ、その後3時間程度の蒸留の後、昼前に火が止められ、蒸しかすを取り出して2回目の蒸留のために乾草が詰められていました。

 この一連の作業段階を、私の方で並べ換えて、【薄荷草を窯に詰める作業】→【蒸留開始】→【後蒸留終了】→【蒸し滓を取り出す作業】という順にして、これから一連の工程をご覧いただきます。


 Photo 1
(クリックすると動画が観られます)
 
 
 
(1)乾草の用意 
 栽培~収穫した薄荷草は、“はさ掛け”と呼ばれるやり方で天日干しされます(写真2;仁頃はっか公園横の薄荷畑)。
 北見市にある“香りゃんせ公園”に行けば、春から秋にかけての薄荷の成長や、秋の収穫、そしてこの“はさ掛け”が見られます。ぜひ、訪れてみてください!

 Photo 2
(クリックすると動画が観られます)
 乾燥は1~2週間程度、窯に詰める際には僅かに水分が残っている状態が良いそうです(簡単にその理由も紹介されていますのでぜひ動画もご覧ください!)。
 乾燥させた薄荷草は、“はさ”から降ろして鉄製のかごに詰め、トラクターで小屋の手前まで運びます(写真3,4)。
 
 Photo 3~4
(クリックすると動画が観られます)
 
 

 

(2)蒸留の準備 
 一方、小屋の中の準備も進められます。ここで使用されているのは『田中式』と言われる、窯の胴体を滑車(写真5)で持ち上げる形式です。動画では滑車の様子やその役割について触れています。
Photo 5
(クリックすると動画が観られます) 
 さてここで、仁頃の蒸留装置を、北見ハッカ記念館の“蒸溜館”で毎日実演している金属製の装置と比較してみましょう(写真6)。
ボイラー(A)で発生した水蒸気は乾草を詰めた蒸留窯(B)の下部から吹き込まれ、導入管(C)を通って蛇管(D)を通る際に水で冷やされて凝縮し、オイル溜め(E)に入る仕組みになっています。
 オイル溜めに入った時にはすでに水とオイルに分離しています。密度の違いから、油層(上層)と水層(下層)に分かれるので、上部の油層のみを簡単に取り出すことができます。
 
Photo 6
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 胴体を持ち上げた様子をみると、窯の床にはボイラーで発生させた水蒸気が吹き上がる穴が中央に見えます(写真7、この穴については動画で見やすく紹介しています)。
 その上に、キャスターのついた円形の網を台座として置き、その上から胴体を被せます(写真8)。
Photo 7~8
(クリックすると動画が観られます) 
 
 

 

(3)乾草を窯に詰める作業 
 いよいよ、トラクターで運んだ乾草を蒸留窯に詰め込みます(写真9)。その際、詰め方にムラがあり隙間ができるとそこを水蒸気が通り抜けてしまい蒸留効率が悪いので、強く丁寧に、足で踏み固めていきます。かご2つ分の草が飲み込まれていくこの作業は、今回の取材では30分近くかかっていて、かなりの重労働のようでした。
 詰め終わると窯の縁にパッキンとしてタオルを巻く感じにして、窯のフタを被せてナットでしっかり本体を固定します(写真10)。
 
Photo 9~10
(クリックすると動画が観られます)
 
 
 
 
(4)蒸留後の作業 
 今回の見学では蒸留は3~4時間程度行われましたが、蒸留時間は決まっているわけではなく、毎回、オイルがあまり出なくなるまで行われます。
 蒸留の間、窯と床や蓋の間の僅かな隙間から白い蒸気が漏れ、趣のある蒸留風景が見られます。薄荷蒸留独特の香りが存分に味わえるのですが、こればかりは現地に行って味わうしかないですね・・・(写真11)。
 蛇管から流れ出ている蒸留後の水は、蒸留の時間進行とともに含まれるオイルの量がだんだん減っていくので、時々“おたま”ですくい取って、目視で油分の量を確認。オイルが減ったら蒸留終了となります(写真12)。
 “終了”と判断したらボイラーを止め、得られたオイル(精油;取卸油)をいったん缶に取り出し、瓶に詰めます(写真13)。
Photo 11~13
(クリックすると動画が観られます) 
  蒸留が終了したら、連結管を外して窯の蓋を開ける(写真14)。
このとき多量の蒸気とともに薄荷蒸留独特の香りに我々は包み込まれます。
(この時こそが最も印象的であり、こればかりは実際に現地で体験しないと味わえない瞬間。ぜひぜひ、現地で味わって欲しい!!)
 その後、屋根に固定した滑車を使って窯の胴体を持ち上げ、台座ごと蒸しかすを引き出します(写真15)。
 蒸しかすはホイールローダで運んで軽トラックに積み込みます(写真16)。
(この蒸し滓は、畑に鋤き込んで肥料として再利用されます)
Photo 14~16
(クリックすると動画が観られます) 
 なお今回の取材では、北見ハッカ記念館(薄荷蒸溜館)で毎日行われている蒸留実演の、終了した後の作業も見せていただくことができ、大変貴重な映像を収めさせていただきました。
 薄荷蒸溜館のステンレス製蒸留装置の場合は、窯の胴体から蒸し草を持ち上げて取り出しています。この様子も動画にしてありますので、ぜひご覧ください(写真17)。
 ここで出た蒸しかすも、大きな枝は鋏で短く切った上で、記念館の敷地内にある薄荷畑に鋤き込んで肥料として利用されています。
 
Photo 17
(クリックすると動画が観られます)
 
 
 
 
 

 5.おわりに

 薄荷の蒸留日は、収穫した日、乾燥した日によって毎年異なるため、事前に把握できず、なかなか取材が難しいものであったが、担当科目がオンライン実施で出張日程にゆとりがあったことと、共同研究者間で情報交換ができたことで、初めて実現した。ひとつの装置を複数の団体で順に使用するため、それぞれの収穫量に応じて開始日、蒸留に要する日数が変化するのは当然である。今回の取材でも出発2日前に仁頃町の蒸留日程が変更になり、取材日程もそれに合わせて臨機応変に変更できれば良いが、出発数日前になって旅程を急遽変更することは、交通や宿泊、レンタカー使用日の変更やキャンセル、学内出張申請の変更、当日授業や会議があれば休講や欠席の手続きなどのため難しい。出張日程を変更せずそのまま北見へ出かけたが、蒸留日程が変更になったおかげで北見ハッカ研究所と仁頃香りの会の両方の作業を見学することができて幸運であった。この経験を通して、厳密な日時のスケジュールに沿って行動する日々に慣れている現代人が見失いがちな緩さを、報告者はこの取材旅行で久しぶりに味わった気がした。それはとても人間味ある体験であったと同時に、こういう緩い感覚は、これからの時代の新しい働き方として我が国の人々が目指す未来の姿にも通じるような気がした。

 薄荷蒸溜の見学を自由にさせていただいた他、ハッカ記念館では車で10分程のところにある香りゃんせ公園でもはさ掛けが行われていると教えてくれたり、ピアソン会の事務局長と一緒に取材ができれたり、翌日KITAMNT HALLを丁寧に案内していただいた。とても親切に応じていただいた中に、私は職務とは別次元の純粋な人間味を感じた。大正~昭和期に北海道開拓の厳しさの中から確かな“世界一”を生み出した薄荷の香りが、時代が平成から令和に変わってもなお、人々の無意識に染み付いていると感じるからこそ、報告者は北見薄荷の過去・現在・未来とそれを取り巻く人々の姿にこだわりをもって伝え続ける覚悟でいる。

 
 
 
 

謝 辞

 今回の訪問に際し、丁寧なご説明、情報等の御提供をいただきました、仁頃香りの会、北見ハッカホールディングス、北見市ハッカ記念館、NPOピアソン会、田園空間情報センターにっころの関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。

 

※本研究は、令和3年度日本教育公務員弘済会本部奨励金の助成によって行われました。

 

 

1)指田豊(2019):生薬としての薄荷、aromatopia、Vol.28(3)、34-37

2)北見薄荷愛好会(2017):毎日、ハッカ生活、大和出版

3)井上英夫(2002)、北見の薄荷入門、オホーツク文化協会

4)和泉光則(2016):北海道北見地方のハッカ(薄荷),化学と教育 2016,64巻(4),188-191

5)浅井かずみ(2019):国産ハッカ最前線―北見から―、aromatopia、Vol.28(3)、47

 
 
 
 こんないろんな濃い内容を、気楽に楽しめる動画で配信します。
 
※本活動は、公益財団法人日本教育公務員弘済会より令和 3 年度日教弘本部奨励金の助成を受けて行っています。